
山城国一帯に居住した渡来人の秦氏は松尾の神・大山咋神を氏神とした。彼らは保津峡を開削し桂川に堤防を築き、両岸に水路を走らせて荒野を開拓した。

大宝元年(701年)、勅命を受けた秦忌寸都理(はたのいみきとり)が松尾山麓の現在地に社殿を造営。山上の磐座より神霊を移し、娘の知満留女(ちまるめ)を斎女として奉仕させた。

平安京遷都後、王城鎮護の神として「賀茂の厳神、松尾の猛霊」と並び称され、崇敬を集めた。
楼門は
江戸時代初期作。

全体が羽根を広げた鶴の形をなす蓬莱の庭。他に上古の庭・曲水の庭があり、何れも四国吉野川産の青石を用いた、
重森三玲晩年作の名庭。
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巨大な破風を持つ方丈。
重森三玲の手になる庭が方丈の四面を囲む。
築山は、荒海に望む巨峰の如き存在感。
砂紋の中に蓬莱、方丈、瀛洲、壺梁の四仙島を表現した配石。
まるで、波濤を割って進む艦隊のよう。
慧日山東福寺は京都市東山区本町にある臨済宗東福寺派大本山の寺院。
開基は九条道家、開山は聖一国師円爾。
京都五山の第四位で、今なお25か寺の塔頭を有する大寺院。
南都の大寺、東大寺と興福寺から一字ずつとって東福寺と号す。
現在の本堂、方丈、庫裏などは明治以降の再建だが、
国宝の三門をはじめ、東司、浴室、禅堂などは中世の建物が現存している。
方丈は明治23年(1890年)の再建。
正面前庭にある唐門は明治42年(1909年)に造営されたもの。
庭園は近代の造園家・重森三玲によって昭和13年(1938年)に作庭された。
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